(登録:2001.04.27)
舌小帯短縮症に対する手術的治療に関する現状調査とその結果
日本小児科学会倫理委員会舌小帯短縮症手術調査委員会
仁志田博司、中村 肇、泉 達郎
母乳栄養促進などの目的から、新生児および乳児の舌小帯に小切開を加えることは、日本のみならず諸外国においても古くから習慣的に行われてきたが、その医学的意味がないことが示されており、現在はほとんど行われなくなった1)~4).このような病棟や外来で助産婦や医師によって行われていたレベルの舌小帯の切開とは異なり、一部の医師によって、先天性舌癒着・喉頭蓋・喉頭偏位矯正術の名称で舌小帯に対する本格的な手術が行われている5).高度な舌小帯の短縮が上気道の変異をもたらし、呼吸障害を引き起こすと言う考えの基に、先天性舌癒着・喉頭蓋・喉頭偏位症の診断名がつけられ、舌低部を切開し頤舌筋を切断する手術である.その手術の目的は、吸啜障害の矯正のみならず、呼吸障害やそれに伴う低酸素血症を改善して乳幼児突然死症候群(SIDS)の発生を予防するというものである.
1994年ノルウエーで行われたSIDS国際学会において、舌小帯を積極的に手術しているグループが、「日本においてSIDSの発生頻度が低いのは、SIDSのハイリスク群である先天性舌癒着・喉頭蓋・喉頭偏位症の乳児を我々が手術して治しているからである.」という主旨の発表を行い6)、同学会に出席していた本邦のSIDS研究者を驚かせた.
さらに、助産婦などから子育て中の母親に「舌小帯を切らないと突然死になる.」というコメントが述べられるにおよんで、専門家の間の意見の不一致が子どもを持つ親の育児不安を引き起こしていることが明らかとなった.
この問題を重くみた日本小児科学会は、舌小帯短縮症手術調査委員会を設け、その現状に関する調査を行った.本論文はその調査結果を報告し解説を加えるとともに、乳幼児の医療および保育に携わる専門分野の各位に、この問題の理解を広めることを目的とした.
調査方法および対象
平成11年8月から10月にかけ、舌小帯に関する臨床経験および舌小帯手術の適応等に関する質問用紙を郵送し、回収された回答およびコメントを検討した.
対象は小児科医93名(日本小児科学会役員24名、日本小児科医会役員69名)および日本小児耳鼻咽喉科学会会員100名である.
回答率は、小児科医において87/93(93%)であり、小児耳鼻咽喉科医において74/100(74%)であった.
小児耳鼻咽喉科医を対象とした調査結果
1)手術例(過去1年間):19医師(26%)により67例が行われていた.(1例:7医師、2例:2医師、3例:4医師、5例:1医師、6 例:1医師、7例:2医師、9例:1医師、10例:1医師)
『舌小帯を手術する医師は1/4に過ぎず、その症例の半数は4名の医師によるものであり、小児耳鼻咽喉科専門医師でも舌小帯の手術は稀であった.』
2)手術適応(複数回答)
哺乳力不良などの授乳に関する問題:7医師
チアノーゼなどの呼吸に関する問題:1医師
撥音などの言葉に関する問題:13医師
発達や行動に関する問題:1医師
その他(切歯による):1医師
『その手術の適応の過半数は言葉に関する問題であり、その他の適応のほとんどは医学的な理由より家族の訴えによるものであった.特に呼吸および発達/行動に関する問題による手術適応は各1例のみと例外的であった.』
3)手術の範囲(複数回答)
舌小帯のみ:13医師
舌小帯および筋層まで:2医師
『筋層まで含む舌小帯手術はすべて構語障害に対するものであり、子ども病院などの専門施設で行われていた.授乳などの問題に対する手術は外来で舌小帯を切る処置のレベルであった.』
4)手術年齢
6カ月未満:2例
6~12カ月:12例
1~2歳:16例
2歳以上:37例
『乳児期特に6カ月未満の手術は2例のみと例外的であった.』
5)麻酔(複数回答)
局所麻酔:7医師
全身麻酔:6医師
他は無回答または無麻酔
『舌小帯のみを切る手術のほとんどは無麻酔で行われているようであるが、筋層におよぶ手術ではなんらかの麻酔が行われ、その半数に全身麻酔が行われていた.』
小児科医師を対象とした調査結果
1)舌小帯のことで親に相談をうけたことがありますか.
ときどきある:12/87(14%)
たまにある:46/87(53%)
ない:29/87(33%)
『頻度はあまり高くないが、小児科医の2/3が舌小帯に関して親からなんらかの相談を受けていた.』
2)舌小帯を切った方が良いと思われる児を経験しますか.
ある:8名の医師(13例)
『ほとんどの小児科医が母親が舌小帯の異常を訴えても、舌小帯を切る必要のある児を経験していない.経験している医師も極少数例においてのみである.』
3)舌小帯短縮(癒着)によると思われる臨床的な問題の経験がありますか.
ある:5名の医師(10例)
哺乳力の問題:1年間に─1例
構語障害:1年間に─9例
呼吸障害:1年間に─0例
発達行動などの問題:1年間に─0例
『実際に臨床的な問題を呈する児の経験はさらに稀であり、そのほとんどは構語障害である.舌小帯短縮による呼吸障害例は皆無であった.』
4)舌小帯を切ったこと、または他医で切ったことによるトラブルを経験したことがありますか.
ある:2名の医師において治療を要する出血の経験
『事例は稀であるが、手術的侵襲による問題が経験されている.』
5)舌小帯を外来等で切ることがあるか.
全員無し.
(12名の小児科医が20年近く前には舌小帯を切った経験がある.)
『かつて行われていた小手術としての舌小帯切開は行われなくなっている.』
考 案
初乳をあらちち(粗乳/荒乳)と称して古い悪くなった乳として、飲ませず捨てる習慣や、こけしの様に巻きおむつをする育児法が赤ちゃんに害あって益無しと改められたのはごく近代になってからである.母乳促進のために舌小帯に小切開を加える処置についても、今村4)が舌小帯の短縮度は年齢にともなって変化するという調査結果を示しているのに加え、根津2)や飯塚ら7)が前方視的調査を行い、舌小帯切開が母乳栄養や吸啜運動を促進する効果は認められないとその必要性を否定している.今回の調査でも、かつて舌小帯に小切開を行っていた小児科医のほとんがすでにそのような処置を行っていないことが示されている.母乳栄養に役立つとの思いから乳児の舌小帯を切ることは、そのような類いの学問的根拠のない習慣であったことがようやく広く理解されるようになり一件落着の感がある.
本調査で問題にされているのは、そのような外来や新生児室で行われてきた処置のレベルである舌小帯切開を越えた、麻酔下で切開を加え縫合するという手術についてである.現在本邦において、舌小帯の高度な短縮と理解される舌癒着症が上気道の偏位をもたらし呼吸障害や低酸素血症をもたらし、それに伴い発育発達の異常や突然死の危険を高めるという考えから、先天性舌癒着・喉頭蓋・喉頭偏位症の診断の基にその矯正手術が一部の医師グループによって積極的に行われている.しかし、大多数の現役の小児科医および小児専門の耳鼻咽喉科医にとっては耳なれない疾患であるところから、その手術適応と医学的根拠について明らかにする目的で調査がなされた.
今回の調査は第一線で中心的な活動を行っている小児科医および耳鼻咽喉科医を対象に行われた.小児科医の2/3は親から舌小帯に関する相談を受けていたが、臨床的に問題となった事例の経験は5名の医師による10例のみで、そのほとんどは構語障害であり、舌小帯による呼吸障害の経験は皆無であった.
小児耳鼻咽喉科医を対象とした調査でも過去1年間に舌小帯の手術を行ったのは1/4に過ぎず、さらに5例以上の手術経験は6名の医師のみであり、小児専門の耳鼻咽喉科でも稀な手術であることが明らかであった.また筋層にまで及ぶ本格的な舌小帯手術のほとんどは構語障害に対するものであり、チアノーゼなどの呼吸器症状を適応としたのは1医師のみであった.
オーストラリアの小児外科医Wright8)は18年間に舌小帯短縮(tongue‐tie)を主訴として受診した287例のうちいわゆる舌硬直症(ankyloglossia)は2例に過ぎなかったと述べている.この疾患に興味を持つ専門家の18年間の経験でも手術の適応となる事例は極めて稀であったことは、今回の調査および筆者ら多くの小児科医および小児耳鼻咽喉科医の経験と一致するものであった.
これらの結果を踏まえれば、手術を必要とする舌小帯そのものが稀なものであるばかりでなく、呼吸器障害を適応として行う手術はさらに例外的であると判断される.向井他5)が6カ月間に45例の乳児に外科的手術を行った報告との差は余りにも大きすぎるところから、単なる医学的適応の違いを越えた医療に対するphilosophyにまで論点が及ばなければ解決できないと考えられる.
さらに、筋層に及ぶ舌小帯の手術においては全例なんらかの麻酔が行われ、その半数は全身麻酔であった.また、2例ではあるが治療を要する出血が経験されている.さらに今回の調査対象外の事例であるが、1996年に大阪で生後49日目の乳児が舌小帯切断術で死亡しており、特に乳幼児に行う場合はあるリスクを伴う手技であることは明らかである.
一方、乳幼児突然死症候群(SIDS)と上気道の異常に関しては、すでに歴史的なTonkinn9)の仮説を始め多くの研究論文があるが、舌小帯の異常との関係に於いては著者らの知るところでは向井他5)6)のもののみである.さらに近年SIDSの基本的な病態が睡眠時無呼吸からの覚醒反応の遅延であることが明らかにされつつあり、これまで報告されてきた上気道の異常による突然死は例外的な別の疾患と考えられている10).
それゆえ、限られた数の医師のグループがSIDSのハイリスク群とされる舌小帯癒着症の乳児を治療したことが本邦のSIDSの発生頻度を低くしているという向井他の発表6)は、舌小帯の手術がSIDSを予防するという学問的データは示されない限り、到底受け入れ難い意見とみなされる.
結 語
今回の調査および文献的な考察から、乳幼児の突然死を予防するという目的で舌小帯に手術的侵襲を加えることの正当性を認めることはできなかった.本調査の結果を踏まえ、小児の医療に携わる小児科および耳鼻咽喉科さらには口腔外科や小児外科の専門家により、舌小帯短縮症の手術の適応やその効果等に関し真摯な議論がなされ、受け身である乳幼児を不当な麻酔や手術という侵襲から守るための措置を考えるとともに、子育て中の母親に適切な情報を提供してその無用な不安を軽減をする努力をなすべきである.
引用文献
1) | 仁志田博司.出生直後のマイナートラブルへの対応 舌小帯短縮症.周産期医学 1996;26:1217. |
2) | 根津八紘.舌小帯短縮症.周産期医学 1990;20:63. |
3) | 赤松 洋.本誌診療メモ、新生児・乳児のTongue tieの治療についての意見に答える―小児科医の立場から―小児耳鼻咽喉科誌 1989;10:74. |
4) | 今村栄一.舌小帯付着の切断を論考する.小児保健研究 1989;48:593. |
5) | 向井 将、向井千伽子、浅岡一之.先天性舌癒着・喉頭蓋・喉頭偏位症―新生児・乳児の呼吸不全―.耳鼻臨床 1990;83:7. |
6) | S Mukai, C Mukai, K Asaoka et al. Prevention of SIDS―correction of ankyloglossia with deviation of the epiglottis and larynx. Third SIDS International Conference, Stavanger, Norway 1994(ポスター発表). |
7) | 飯塚忠史、佐々木美津代、大石 興.舌小帯と母乳哺育―病院をベースにした前方視的検討―.小児保健研究 1999;58:665. |
8) | Wright Je. Tongue‐tie:Review Article. J Pediatr Child Health 1995;31:276. |
9) | Tonkinn S. Sudden infant death syndrome;Hypothesis of causation. Pediatrics 55;650:1975. |
10) | 仁志田博司.乳幼児突然死症候群とその家族のために.東京書籍、東京、1994. |